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各部分の関係と演奏解釈

 

全体の構成は提示部が73小節、展開部が86小節、再現部が71小節、コーダが18小節であり均整のとれた姿をしております。

しかし発想記号のレベルで見て行くと、古典的なソナタとは曲の表現意図が異なっているらしいということがはっきりしてきます。通常のソナタ形式の楽曲は主題を提示し、それを色々な手段で補強してゆき、再現部でさらに主題を歌い上げる表現をします。この楽章についてはそのような考え方を捨てるべきではないかと思います。

注目すべき点は展開部の書法であり、提示部を継承して、緩急を交えながら完璧なクライマックスが演出できるように入念に作られています。 そして振り上げたこぶしに打ち下ろすのに適切な再現部を書いていないところが実に不思議なところです。展開部のクライマックスがフォルテッシモ、再現部の入りはフォルテというのも変っています。こんなところを書き間違える作曲家はいませんから、勿論フォーレはそのように意図したに違いありません。

以上を踏まえて演奏の基本方針の話になりますが、再現部に入った瞬間から、提示部の回顧が始まるような演奏が良いのではないかと思うのです。さらに徹底するという態度ではなく回想する演奏が面白いと思うのです。このように考えると再現部での発想記号の問題も解決しますし、展開部の構成も納得できます。
つまり、149−158小節のクライマックスに最大の力点を置くことを演奏の基本方針にしてはどうかということです。

提示部は出来るだけ構造的にがっちりと男性的に演奏をします。展開部もそれを受けてしっかり演奏します。そして壮大なクライマックスを作ります。再現部は一転して女性的な感傷的な演奏をしようというのです。言葉を変えれば、提示部は「統一の中の変化」 、再現部は「変化の中の統一」ということです。

話が抽象的になってしまいました。演奏は具体的な作業ですから話を戻します。

提示部の演奏:

1)まず、発想記号はそのまま厳密にまもること。(大前提です)
2)提示部では旋律を浮き彫りにして明快な演奏します。
3)提示部ではテンポの揺れを極力少なくした演奏をします。特に構造的に意味のある接続部(第2主題の導入部など)でのテンポの揺れを押さえます。
4)以上の制限のなかで、精一杯フォーレを表現します。

「これじゃ、まるでハイドンじゃない。」と思われるでしょう。評論家の先生もそのように感じるに違いありません。そして、「このグループはフォーレをベートーベンと勘違いしている」という審判を下してしまうでしょう。ところが演奏の途中で席を立つことは出来ませんから、我慢して悪口でも考えることになりましょう。

演奏はどんどん進み、ついに再現部にものすごい勢いで突入します。(評論家はもういい、もういいと思っているかもしれません。)

再現部の演奏:

1)まず、発想記号はそのまま厳密にまもること。(大前提です)
2)再現部では重なった旋律、和音の響きを強調する演奏をします。
3)再現部ではテンポの揺れを必要に応じて取り入れます。
特に構造的な部分の表現を入念に行ないます。
4)自由に、精一杯フォーレを表現します。

注)自由な表現を行なうために、それを統一する手段として第2主題の入りやコーダの入りの表現を入念にする必要が出てきます。(これを行なわないとソナタ形式には聞こえなくなります。)

コーダの演奏:
コーダはこの曲では回想に締めくくりのようなものです。先ずコーダの入りを極めて入念に演奏したいと思います。


226小節から228小節までは漂うような和音と強弱の中で弦楽器が短い動機を歌いますが、ここはどんなに弦がわがままを言っても、楽譜通り、テンポ通りに演奏したいところです。そして229小節は230小節のための露払いまたは地ならしです。そして230小節で極めて美しいピアノがコーダの入りを告げます。リタルダンドの指示はありませんが、再現部を脱したことを分らせるために極めて大胆なリタルダンドが合って良いとおもいます。いえ正確にはリタルダンドではなくピアニストのad libitumです。
ピアノが美しく歌うことを全てに優先させます。そして我にかえったようにチェロが第1主題を匂わせながらコーダの演奏をはじめます。

 

さて、うんざりしている評論家の話に戻します。
再現部に入ってしばらくすると、悪口を考えていた先生はびっくりします。自分の言おうとした悪口を全て帳消しにするような演奏に変化して行くのですから。このグループはなぜこんな事をしたのだろうと
考え込むかもしれません。
楽譜を見たことのない批評家は「奇をてらった演奏」と酷評するかもしれません。

この演奏は「奇をてらった演奏」として退けられるべきでしょうか。私は発想記号に隠された謎を合理的に解決するためにこのような演奏解釈に到達しました。真実に迫っているかもしれません。他にもっと合理的な解釈があるかもしれません。

楽譜を読むというのは本当に面白いことです。

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